要件調査でネコ草をもらった。それにしてもNHK真田丸はヒドい。

ネコ草

 

 

 

 

 

 

 

 

画像は要件調査の際に立ち寄った行政書士事務所(ネコ友さん)でいただいたネコ草。猫だけではなく犬も好きなんですね。

で、たまたま(いや、作為的)ネコ草の隣に写っているのは池波正太郎の真田太平記シリーズ。

今、NHK大河ドラマ「真田丸」にあやかってか、真田幸村にちなんだイベントや展示が目白押しの模様ですが、この本家のNHK真田丸がホント、ヒドイ。

もちろん、大河ドラマに何を求めてるかは人により異なります。

なので、あくまで私の好みを尊重した上で言わせてもらうんですが、私の場合、大河ドラマに無くてはならないものは、当時の時代の持つ空気感。

と言っても、誰もホントのところはわからなくて、「多分こうだったんでしょう。」と言う想像でしかないので、当時の空気感を再現、と言ってもそりゃあ限界はあります。

でも、このドラマの場合、歴史の知識とは関係なく「当時だったらゼッタイにこの雰囲気あり得んわ!」と誰もがわかるキャラ設定と台詞回しとストーリー展開。

慢心?手抜き?演じている役者(特に長澤まさみ)が気の毒になるほどです。

三谷幸喜は「やっぱり猫が好き」以来大好きで、時々は舞台も観に行ったりして(舞台で段田安則の才能を発見!)たのですが、このドラマにはガッカリポン、舌打ち100回モノでした。

例えば、文楽を観てると、これがもう「義理と人情の相克」の世界で、今の人だとナンボ何でも主君の為に我が子に毒を飲ませたり我が子の首をチョン切ったりはしないですよね。

でも、あの空気の中では、何故かそれに納得して涙してしまう説得力があって、それは太夫や人形遣いを始めとして、文楽に携わる人が刻苦精励の結果、醸し出してるものだと思います。

お爺さんやおじさんが人形の後ろにいるけど気にならない。黒子も含めるとめちゃくちゃ沢山の人間が舞台にわらわらといる時もあるのですが、「約束ごと」ではなく、本当に存在を感じないのです。それってすごいですよね。

それとか、歌舞伎なんかでも還暦過ぎたおっさんがこってり白塗りをして裏声出して可憐なお姫様や妖艶な傾城を演じてたりして、見ようによってはホラーなんですけど、それだって「約束ごと」ではなくやはり歌舞伎の持つ強烈なマジック、と言うか、やはり歌舞伎独特の空気で「ステキ!キレイ!」となるわけですね。

「源氏物語」(もちろん現代語訳)を読んで、時には、千年以上前の人も私たちと同じことを感じたり考えたりしたんだなあ~とチョット嬉しかったりもするのですが、これはこれ、それはそれ。「時には」だから良いのであって、前菜からデザートまで「今と同じ。わかりやすいでしょ!」の押し売りにはウンザリなのです。

「今と同じ」ものだったら、視聴者はある意味お気楽に画面を眺めていられます。

登場人物の行動や発言、話の流れetcいちいち違和感や疑問を感じることなく観ていられるし。

そして、いちいち、何故そうなのかを考えるエネルギーも要らんし。

違和感や考えることが快感であるかストレスであるかにより、好みが分かれるんでしょうけど、私の場合、ここまであっけらかーんと現代劇風だと、呆れた気持ちがやがて「視聴者をお舐めになってらっしゃるのね。」と言う憤りとなって「もう見んわ。」となるのだと思います。私が見なくてもビクともしないんでしょうけども。

ちなみに、同じNHKでシーズン4が始まったダウントンアビーでは、貴族の末裔がしっかりと時代考証をしていて(←先日、特番でやってた)今の時代だと考えられないほどの決まりに縛られた貴族の生活や当時の人々の考え方を忠実に描き出し、特番では何故そうなのかをきっちり説明していました。

今の人が今の言葉で今の考え方で今の立ち居振る舞い、衣装だけを「なぞってる」だけ、なんてのは昔の「新春スター隠し芸」の中の寸劇でしかなくて、大河ドラマの重厚さと濃密さは期待すべくもない。

YouTubeで大昔の大河を垣間見たら、セットなんかは今より遙かにお粗末なんですが、その重厚で濃密な雰囲気、当時の製作者の志をひしひしと感じます。