☆大阪の行政書士、川上恵です☆
本日は成人式。法律的にはたとえ18歳の女子でも結婚すれば成人とみなされる。これを「成年擬制」と言うのですが私の高校でも結婚して子を宿した腹の上にグルグルと帯を巻いて振り袖で成人式に出た強者がいました。ある意味「子を持って一人前」と言う言葉を体現した人だったと思います。
「子を持って一人前」と言うのは取りようによっては差別用語かも知れませんが、私の持論として「一人前かどうかはわからないけど、子を持つとその人の人間力は確実にUPする。」と言うのがあります。
でも、それを言うと子を持つ友人達は「えーーーっ、そんなことないでぇ~!」と全否定なのです。子育ての最中にとんでもない親を大量に見てきたことも一因だと思います。「子故の闇」と言う言葉もあるとおり、我が子可愛さ(自己愛の投影と見る人もあり)のあまり分別をなくす親も中にはいます。でも、多くの場合、ある人の「人間力」の初期値が50としたら子を持っていろいろ苦労しながら育てていくうちに70になったり200になったりと言う風に向上するのではないかな、と思います。そのとんでもない親たちだって、もし子がいなかったらももっととんでもなかったかも知れません。
個々人により初期値が違うので「親になってる人が親でない人より人間力が高い。」とは一概に言えません。でも、一人の人間で見た場合、「子供が3歳なら、親も3歳!」と言う有名な言葉が示すように、子を持つ&育てることにより、その人は子とともに成長するのではないでしょうか。
去年も今年も成人式を迎えた子を持つ友人がいて「アホなことばっかりしてきた子(友人のこと)が、親となって(子供を)よくぞここまで立派に育てあげたよなあ。」と勝手に胸を熱くしています。有名な「代書」と言う落語に現代なら社会不適応者と烙印を押されそうな主人公が出てきますが、その人(松五郎)のお母さんは「おまえは太閤はんと同じ日の生まれやからきっと出世する!」と言うのです。それを松五郎が代書屋に誇らしげに言うもんだから代書屋が「親なればこそやなあ。」と嘆息まじりで言うこの場面、とても好きです。
スーパーで「セリナ~!セリナちゃ~ん!」と呼んでるお母さんがいて、走ってきた子供の顔が罰ゲームだったら昔の私なら「キーッ、どこが『セリナ』やのん!ブタ子やん!」と抗議(誰に?)していたものですが、今の私は「親なればこそやなあ。」と淋しく微笑んでいます。現代の代書屋(行政書士)だからではなく、私も成長して(老いて?)それなりに心の値が上がったのでしょうか。親でなくても。だとしたら良かったです!
お酒も解禁。「君の瞳に・・・」は文豪ヘミングウェイの言葉です。
コトラもすっかり大人(おっさん)になりました。